授業後、今日も2年4組の面々は『ときめきハイスクール』の撮影を行っていた。

「カーーットっ!」
監督であるしのぶの元気な声が教室内に響いた。
「みんなお疲れ〜。30分くらい休憩取りましょう。」
しのぶの言葉に現場の妙な緊張感がフッと消えて、いつもの彼らの顔に戻る。
「あたる君、お疲れ様!」
しのぶがよく冷えたジュースの缶をあたるの目の前に差し出した。
「お、サンキュー。」
プルトップを開けると中につまっていた炭酸の気が弾けた。
「ん〜よく冷えててうまい♪」
一気にごくごくと飲み干す。
「始めの頃に比べたら随分演技が上手くなったじゃない。セリフ、トチらなくなったし。」
「演技っちゅ〜ほどのものでもないし、セリフのトチりだってあの「ちゃん」付けだけじゃ。
あれさえなければ俺は完璧だ。」
「何よー、新鮮で良かったのに、ラム「ちゃん」って呼ぶの。私はもうしばらくそのままが良かったのに、
あたる君がどうしてもって頼むから、仕方なくセリフを変えてあげたのよー。」
「アホか。気色悪い。」
呆れ顔のあたるにしのぶがくすくすと笑う。
「ほらぁ、ネクタイが曲がってるわよぉ。」
あたるの衣装である制服のネクタイに手を添える。
「おい、それはわざとそうやってあるんじゃないか。」
「それにしたってこれじゃカッコ悪いわよ。ほら、こっち向きなさいよ。」
「へーへー。」
やはり幼馴染兼元恋人同士。一緒にいても全く違和感がない。
そこへ、
「しのぶ、どくっちゃ!」
「きゃっ!」「うわっ!」
どんっ!と思い切りしのぶを突き飛ばして、ラムが割り込んでくる。
「夫の身だしなみを整えるのは妻の役目だっちゃ。」
しのぶにアッカンベーと舌を出し、くるっとあたるの方へ向き直ると一転して笑顔になる。
「ネクタイを直してあげるなんて、うちら新婚さんみたいだっちゃ!」
1人で舞い上がって、ネクタイを掴む手に自然と力がこもる。
「ぐわあぁぁぁぁぁっ!や、やめんかー…っっ!」
「ん??」
カエルが潰れたようなうめき声にラムが顔を上げると、
その視線の先のあたるの首はネクタイでぎゅうぎゅうに絞められ、顔色が紫色に変色していた…。
「ご、ごめんちゃ、ダーリンっ!!」
「何やってんのよ…。」
ため息をついて、しのぶはラムを横目で見た。

ジー…ジー…。
3人の耳に微かな機械音が伝わってきた。
「何?」
あたる、しのぶ、ラムの3人が同時に後ろを振り返ると、小さなビデオカメラを手にした明美が立っていた。
「『ときめきハイスクール』撮影日記、撮影中〜。さ、気にせず続けて続けて。」
レンズを覗いて3人を写す。
「どうしたの、そのカメラ?」
「うちの親に借りてきた! これなら私にだって簡単に写せるもん。
せっかくだからメイキングビデオ撮っておこうよ。」
しのぶの問いに、明美がレンズから目を離さないまま答える。
それからカメラをラムに向けた。
「え〜、主演女優のラムさーん、今回の役どころ、いかがですかぁ〜?」
明美の後ろから芳恵がひょっこり顔を出し、マイク替わりの筆箱をラムに向かって突き出す。
「いかがって、何だっちゃ?!」
突然始まったインタビューに目を白黒させるラム。
「では、初メガホンを取る三宅しのぶ監督、撮影の状況はいかがですかぁ〜?」
レポーターの口真似をする芳恵に、しのぶがプッと笑いを漏らす。
「え〜そーですねぇー…、ヒロインのラムさんはこちらの期待を裏切らない素晴らしい演技を披露してくれています。」
「何せ地でいけますからねぇ!」
カメラマン・明美が相槌を打つ。
「それと言うのも今回の相手役、諸星あたるくんの存在が大きいわけですがー…、ってあれ?」
にっこりと筆箱マイクを移動させた芳恵の素っ頓狂な声に、ラム、しのぶも横を見た。
いつの間にか、そこにあるべきあたるの姿がない。
「ダーリン?」「あたる君?」
ラムとしのぶが同時にその名を呼んで辺りをきょろきょろと見回す。
ついさっきまで隣にいたはずなのに、忍者でもあるまいに音もなく忽然と姿を消すなんてーーー。
「逃げることないじゃないねぇ。」
カメラから顔を離して、明美がぷぅっと頬を膨らませた。


あたるはしのぶたちからこっそり離れて、いつもの芝生に来ていた。
「やれやれ、慣れんことをすると疲れるな…。」
大きく息を吐いて、ごろんと芝生の上に寝転がる。
今日も外はいい天気で、晴れやかな青空が広がっていた。
「あーあ、絶好のガールハント日和だなぁ…、ってあれ?こんなモン持って来ちまった。」
体の横に置いた手を目の前に移動させる。
あたるの右手には映画の台本が握られていた。何の気なしに、ぱらぱらとページをめくる。
「しっかし、しのぶもこんなモン、よ〜書くわ…。」
なまじ実話が混じっている分、悪趣味ではないか。
「次のシーンは、と…。」
「ダーリン、見ぃつけた!」
「わっっ!ラムっ!」
あたるの姿を隠していた木々の壁がガサッと音を立てて、突然ラムが飛び出してきた。
「やっぱりここにいたっちゃね。急にいなくなるからびっくりしたっちゃ。」
「人が静かに休憩しとるところに、何だよ騒々しい。何か用事か?!」
あたるは不機嫌そうに寝転がったままだ。
「別に用なんてないっちゃ。ダーリンの側にいたいんだっちゃ。」
「うっとうしいわい。」
あたるの冷たい言葉にもひるむことなくラムは隣に腰を下ろす。
「ダーリン、セリフまだ覚えてないっちゃ?」
あたるの右手の台本に気づいてラムが聞いた。
「昨日の内に覚えた。NG出したくないからな。」
「…うちはダーリンがNG出してくれた方が嬉しいっちゃ。」
へへへ、とラムが頬を緩める。
「何でだよ。」
「だぁって、そうしたらもう一回ダーリンとラブシーンできるっちゃ。きゃあっ!」
ピンク色に染まった頬を両手で覆ってはしゃぐ。
「ア、アホか、お前…。」
嬉し楽しそうにきゃあきゃあ騒ぐラムを見て、あたるまで照れくさくなる。
「ただの演技だ、演技!」
努めて平静を装おうとするが、勝手に自分の顔の温度が上がるのが分かる。
あたるは大きく寝返りを打った。

「…あたる君、うちのこと、好き?」
「ぶっっっ!!!」
「うちは、あの日からずっと、あたる君のこと…」
「急に何言い出すんだ、おのれはーーっ!」
焦って起き上がるあたる。
ラムは芝生の上にちょこんと正座していた。
両手は膝を覆うプリーツスカートの布をぎゅっと握っている。
「このシーンの撮影の日が少しずつ近づいてくるっちゃね。」
顔はあたるの方をむいているのに、目はあたるを見てはいない。
どこか違う世界を見ているかのようだ。
「げ、現実と映画は違う! そーゆーくだらんことはカメラの前だけで言え!」
そのあたるの言葉に、うっとりと夢を見るような顔していたラムの、表情がふ、と沈んだ。
それに気づいたあたるも勢いが止まる。
「な、何だよ、何か文句でも…っ」
「うちは、演技なんてしてないっちゃ。うちは、本当にダーリンのこと好きだっちゃ。」
ラムの瞳が何だか潤んでいるように見える。
正座していた膝を崩して、ラムが徐々にあたるの方へとにじり寄ってくる。
今すぐその胸に飛び込みたい衝動と、それを押さえなければという気持ちとが入り混じっているかのようだ。
胸の前でぎゅっと握ったラムの右手と熱く自分を見つめるラムの瞳とが、あたるには痛かった。
「撮影…ずっと続いて欲しいっちゃ。そうしたらダーリンはずっとうちを見ててくれるから。」
ラムの左手が伸びて、あたるの制服の袖にそっと掴んだ。
あたるは身動きできない。言葉がうまく出てこない。
ラムが少しふわっと浮いたかと思うと、そのままあたるの胸に顔を寄せた。
「ダーリンは…何とも思わないっちゃ? ただの演技でああいうことできるのけ?」
「俺は…、」
「うちは演技なんかしてない…演技なんかじゃないっちゃ。」
ラムが更に自分の胸に体を預けてくる。
制服の上着と白いワイシャツ越しに、ラムの身体の重みと熱を感じる。
「ダーリン…」
自分を呼びながらその顔を上げる。
「大好き…大好きだっちゃ。」
一心に自分だけを見つめる、その大きな蒼い瞳に吸い込まれそうになる。
「ラ…」
ガサッッ!!
「誰だっっ!?」
文字通り、2人の世界に入っていたあたるとラムは、突然それを打ち破った物音に敏感に反応した。
葉と葉がこすれ合うような音だ。誰かに見られていたのか。
あたるが慌てて振り返って木の間を凝視するが、人の姿は見当たらない。
「誰かいるのか!?」
あたるはラムを引き離して立ち上がり、
背後に立ち並ぶ自分の身長程度の高さの木々に一本一本手を突っ込んで人がいるか確認した。
ラムは芝生に座り込んだままだ。
「ちっ!風か?…もう休憩時間も終わる頃だろ。行くぞ。」
あたるは苦々しく舌打ちした。
ラムの反応が返ってこないので、
「おい、ラム!」
と、振り返りながら声を荒げる。
ラムは半ば放心状態で居た。
さっきと変わらないとろんとした瞳が、ゆっくりと動いてあたるを捕らえた。
「いつまでそうしてるつもりだ。もう教室に戻るからな。」
不自然なラムの様子に気づいてはいたが、さっきまでの自分達の状態を思い起こすと、
あたるにはラムに優しく声をかけることができなかった。
ラムを置いて校舎の方へと走り出す。
遠ざかるあたるの背中を、ラムはしばらくの間ぼんやりと見ていたが、
諦めたのか1人でのろのろと立ち上がり、ゆっくり校舎へ向かって飛んで行った。


「……ちょっとぉー…。」
「な、生よ、生…。」
「すごいモン見ちゃったってー感じー…。」
立ち木の隅の方で身を縮めている少女が3人。
3人とも顔が赤い。
「何か心臓が…」
「あたしも…。」
明美と芳恵が顔を見合わせる。
「い、今のってホンモノよねぇ…。」
「演技じゃない、って言ってたわよねぇ。」
「…しのぶ〜?」
生唾を飲み込みながらひそひそと声を発しているのは、明美と芳恵だけ。
しのぶはさっきから一言もしゃべっていなかった。
「しのぶ、やっぱちょっとショックだったりして?」
「そうよね、一応元カレだもんねぇ…。」
「そんなんじゃないわよ。」
やっとしのぶがしゃべった。
「今更ヤキモチ焼いたりなんかしないわ。」
赤くなって俯いていた顔をぱっと上げる。
「感動してたのよ、私。」
「感動…?」
瞳を輝かせて言い放つしのぶに、明美と芳恵が訝しげな視線を送った。
「やっぱりホンモノのもつ迫力、緊張感!これに勝るものはないってことよ!」
がばっと立ち上がり、ぐっと拳を握り締める。
「あの臨場感を、映像で再現できたら、優勝はもういただきよ!!」
声高らかに宣言するしのぶ。
「映像ならコレで撮ったけど…。」
「何ですって!?」
しのぶの迫力に押されて、明美がおずおずとビデオカメラを差し出した。
「さっきのインタビューの続きをと思って撮ってたんだけど、
まさかホンモノのラブシーンが目の前で繰り広げられるとは思わなくて…撮っちゃった。
これって…ヤバイよねぇ…?」
どうしよう、と目の前に差し出されたビデオカメラ。
「…使いましょう。」
しのぶがビデオカメラをそっと取り上げる。
「し、しのぶ…?!」
「使うって…ヤバくない? だってこんなの盗撮と同じじゃ…」
「そうね、このまま使ったんじゃマズイわよね。ラムはともかくとして、あたる君が納得しないでしょうね。」
そこまで言ってしのぶは腕を組むポーズをした。


しのぶたちが教室に戻ると、他のみんなはもうスタンバイしていた。
「監督ー、おっそーい!」「ただでさえスケジュールおしてるんだから、頼むよぉ!」
「ごめんなさぁい!反省してま〜す!」
明るく大きな声で詫びながら、しのぶはさっさとカメラの横に座る。
カメラの向こうには、あたるとラムが次のシーンの立ち位置で監督の合図が送られるのを待っていた。


(5)に続く

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