1時間目が始まったが、教室にラムの姿がない。
温泉マークが、「ラムくんはどうした?」とクラスに問い掛けると、
しのぶが、「さっき、気分が悪いと言って、保健室へ行きました。」と答えた。


「ふ…む。熱はないようだな。」
ラムの額に掌を当てて、サクラが静かに言った。
「しかし、おぬしがこんなに元気がないとは珍しい。鬼の霍乱というやつか。」
ははは、とサクラが笑ってみせるが、ラムはにこりともしない。
沈んだ表情のまま。…もっとも、鬼の霍乱≠ネどという言葉を、宇宙人のラムが知っているかどうかは謎だが。
「昨夜、あんまり眠れなくって…。」
と視線を落とすラム。
「どうした、何か悩み事でもあるのか?ははぁ、また諸星の奴じゃな。
ラム、あんな男のことでくよくよ悩まなくとも…っ、」
ラムが無言のまま首を横に振って、サクラの言葉を否定する。
「なんじゃ、諸星のことではないのか?ん?」
一向に変わらないラムの表情が気になり、サクラはいつも以上に優しく聞いた。
「ダーリンのこと、…だけど…。でも…。」
「でも?」
「…やっぱり、人には話せないっちゃ。言ったら、ダーリンはきっともっと怒るっちゃ。」
自分に言い聞かせるかのように、小さく呟く。
サクラはため息をついた。
「大丈夫、秘密厳守じゃ。…話してみよ。悪いようにはせん。」
穏やかに微笑んで、サクラがラムの側に寄る。
昨夜から1人で考え込んで疲れてしまったラムは、さっき自分で言ったことも忘れ、
昨夜あたると2人きりだったこと、あたるが自分を組み敷いたことなどをぽつりぽつりと話し始めた。


「ダーリンはうちが悪いって言ってたっちゃ。でも、うちには分からないっちゃ。」
一通り話し終えたラムは、昨夜あたるに押さえつけられた手首を擦りながら、俯いた。
「あんなダーリン、初めて見たっちゃ。…うち、怖かったっちゃ。」
何の跡も残っていないが、あのときのあたるの力の強さを思い出して、また表情が強張る。
「…それはさぞ、怖かったであろうな。」
サクラがラムの両手をそっと握り、自分の両手で優しく包む。
その聖母のような微笑に、ラムは、自分の心の疲れがほんの少し癒されたような気がした。
「じゃがな、ラム。」
穏やかな笑みはそのままに、しかし冷静に、サクラが言う。
「諸星の言うことももっともだと私は思う。17の若い男女が1つ屋根の下で寝所を同じくしていて、
今まで何もなかったという方が奇跡じゃ。」
ラムが心を閉ざしてしまわないように、ゆっくりと、諭すように、サクラは話を続ける。
「普段、おぬしに対してそっけないからと言って、何もおぬしに関心がないわけではない。
あやつとて、年頃の男子なのだから、そういうことにも関心があって当然。
おぬしの話から想像するに、昨夜の状況というのは、諸星にとっては感情を突き動かされるに十分な条件が
整いすぎておる。これで手を出すなというのは、思春期の男子にとっては無理な話ではないかな。」
ラムは、サクラの話にじっと耳を傾けていた。
「…サクラは、つばめとそういうコトをしたこと、あるっちゃ?」
遠慮がちに、しかし真剣にラムが尋ねる。
「サクラは怖くないのけ?…あ、でも、サクラはつばめより強いから平気だっちゃ?
うちだって電撃が使えれば、あんな風には…。」
このテのことで自分の体験談を語るのは気恥ずかしいが、かわいい生徒のためと意を決し、
サクラは、こほん、と1つ咳払いをしてから、ラムの質問に答えた。
「まぁ、始めは怖いであろうが、相手のことが好きなら、怖いという気持ちより勝る感情も出てくるものじゃ。」
「本当け?」
「うむ。」
ラムは1つ大きなため息をつき、夢を見ているかのような瞳で語る。
「うちね、ダーリンが大好きだから、昨夜2人だけで居られるのがとっても嬉しかったっちゃ。
一緒に御飯食べて、テレビ観て、他愛もない話をして…。そういう時間が、とっても楽しくて。
ダーリンが大好きだから、少しでも側に居たいっちゃ。触れて居たかったっちゃ。
だから…一緒に寝たかったし。うでまくら、一晩中してくれたら、すっごく幸せだろうな…って…。
そのまま眠れたら、夢の中までずうっと、ダーリンと2人で居られそうな気がして…。
それで十分、幸せで、気持ちよくって…。でも…。」
ラムの瞳が伏せられた。
「でも、ダーリンは違うんだっちゃね…。」
サクラに握られたままの自分の両手を見る。
それは昨夜あたるに押さえつけられた手。指を絡められた手。
「…うちは、2人で手を繋いで歩けたら、それでとっても嬉しいのに…。」
どうしてそれだけじゃだめなんだろう。
ラムは瞳を閉じた。
「ラム。」
あくまで穏やかなサクラの声。
ラムが顔を上げる。
「ラム、それは諸星も同じだと思うがな。」
「…そうかな。」
「そうじゃ。手を繋ぐ行為も、昨夜あやつがおぬしに要求した行為も、元の気持ちは同じものであろう。」
「ダーリンは、今朝、すごく怒ってたっちゃ。あんな風に怒ったの初めてだっちゃ。」
「もどかしかったのではないか?自分の気持ちがおぬしに分かってもらえないことが。」
「そうなのかな…。」
「恐らくは、な。」
ラムは口を閉じ、じっと考え込んだ。
サクラはそっと手を離し、しかし優しい眼差しでラムを見つめている。
そのとき、1時間目の終りを告げる鐘の音が鳴り響いた。
ラムはその音に反応して、再びサクラの顔を見た。
「うち、やっぱりまだよく分からないっちゃ。でも…。」
一度言葉を切る。サクラは黙ってラムの様子を見つめている。
「でも、今すぐダーリンに会いたくなったから、ダーリンの所に戻るっちゃ。」
「そうか。」
「まだ怒ってるだろうけど、でも、怒られてもいいから、ダーリンにすごく会いたい。」
「やつも同じ気持ちでいると思うぞ。」
「…そうだといいっちゃ。」


ラムはにっこりと笑った。
幸せそうに笑った。




…次でラストになるはずです。



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