それは突然やって来た。

ラムとの別れ     。 

もう夏休みが目前に迫った、あつい夏の日のこと。



2時間目の英語の授業中。
熱い、ねっとりとした空気が教室に充満している。
私は教科書から視線を外して、斜め前に見えるあたる君の背中をぼんやりと眺めている。
(何かあったのかしら…。)

今朝のあたる君は明らかに様子がおかしかった。
私が教室に入ってきても、何も言って来ないのだ。
いつもなら「し・の・ぶ!おっはよーーーーっ!」と叫びながらどこからともなく飛んできて、
がばっと抱きついてくるのに。
そして「ダーリンっ!!」と放電してすっ飛んでくるラム。
でも今朝は。
あたる君は誰にも声をかけず、無言で席に着いた。
そしてラムは。
ラムの姿はなかった。
朝のHRの時間になってようやく、ラムは登校して来た。
巨体の父親と共に。
父娘が緩やかに飛行して校舎内に入るのをクラスの男子生徒が見つけた。
「あれ?ラムちゃんと、あの親父じゃんー。」
「あ、本当だ。ラームさーん…どこ行くんだー?」
「おい、あたるー。ラムちゃん、何で父親と一緒になんか来たんだー?」
みんながラムの様子を不思議に思ってあたる君に聞いた。
あたる君は腕を組んで椅子を斜めにして座り、顔を前に向けたまま、
「知らん。」
と、一言答えた。
いつもの脳天気っぷり見る影もなく、伏目がちに、無表情で。
あたる君の態度に、みんながただならぬ雰囲気を感じ取った。
でも、あの2人は納得できなかったらしい。
「あたるーっ!知らんとは何だ!お前が知らん訳なかろう!」
「そうだ、諸星。あの父親は何をしに来たんだ!さてはまたくだらない夫婦ゲンカに、僕らを巻き込むつもりか?!」
メガネ君と面堂さんがあたる君に詰め寄る。
あたる君はうっとおしそうに立ち上がると、
「だーかーらー、俺は知らんと言っとろーがっ!」
大声で怒鳴って、机をバンバンと叩いた。
「お前らなーーーっ!今はHRの時間だぞーーーーっ!」
花和先生の代理で教室に来ている温泉先生が3人に注意したので、3人は渋々席に戻った。

2時間目になってもラムは教室に姿を現さない。
心配になった面堂さんたちが先生を問い詰めると、
「ラム君は今、校長室で校長先生と何やら話をしている。それ以上のことは俺にも分からん。」
と教えてくれた。
その言葉にみんなは動揺した。
ラムと父親が、一体校長に何の話があるというのか、あれこれ勝手な憶測が飛び交う。
「こらー、無駄話は慎め!授業中だぞ!」
温泉先生が大声で注意するので、みんな一旦おしゃべりを止めて、教科書を開いた。
でもどの子も心の中ではラムのことを考えていたに違いない。
私もそうなのだから。
あたる君をぼんやりと見る。
彼はさっきの噂話にも一切加わらず、相変わらず腕組みをしたまま前を向いて座っていた。
周りがラムのことを聞くたびに「知らない」の一点張りだった。
でもそれは嘘だというのは誰が見ても明らかだ。
そしてそれは尋ねてはいけないことなのだということも。

昼食を終え、昼放課になった。
でもラムはまだ教室に姿を現さなかった。
メガネ君たちが校長室に偵察に行ったけど、
「だめだ。ラムさんは窓に背を向けて座っていて表情を読み取れん。」
と戻ってきた。
「だが、校長の様子からして、深刻な話ではあるようだ。」
とも付け加えた。

ゴオォォ……
外から何やら大きな物音がする。
「何か空から降りてくるぞ!」
「あっ、ラムちゃんの星のUFOじゃないか?!」
「そうだ、間違いない!」
みんなが口々に叫ぶ。
教室の窓から鈴なりになって、その巨大な宇宙船が降下してくるのを見守る。
虎じまの宇宙船はグラウンドの砂をモウモウと撒き散らしながら、その中央に着陸した。
「おい、行くぞっ!」
「おうっ!!」
「見に行こっ!」
私たちは教室を出て、グラウンドに駆け出した。
一体何が起きるのだろう。

既に大勢の生徒が宇宙船の周りに集まっていた。
大騒ぎになっている。
「あ、ラムちゃんだっ!」
「あの親父も一緒だぞ。」
「ラームさーん!」
来客用の正面玄関から、ラムと父親がゆっくり歩いて出てきた。
ラムはうつむいたままで、足取りもおぼつかない。
父親はそんな娘の肩にそっと手をかけ、支えるようにして歩調を合わせている。
メガネ君や面堂さんたちがどっとラムの側に集まった。
「ラムさん、どうかしたんですか?!」
「何かあったんですか?!」
「ラムちゃん!」
「ラムさんっ!!」
彼らに取り囲まれたラムは足を止めた。
でも顔を上げようとしない。
父親はラムから離れ、宇宙船の入り口の側に立って様子を見ている。
隣には宇宙船から降りてきたラムの母親もいる。

「ラムさん?!」
面堂さんが驚きの声を上げた。
「な、泣いてるんですか、ラムさんっ!?」
メガネ君がオロオロしている。
うつむいたラムの瞳から大粒の涙が一粒、また一粒と落ちてはグラウンドの砂に染み込んでいく。
「う、うち…うち…」
涙声で呟くラム。
その両肩は震え、両手はぎゅっと握り締められている。
「うち…行きたくないっちゃ…」
「ラムさん?どこへ行くというのですか?」
「どうしたんですか?」
ラムはうわ言のように呟き、顔を上げた。
頬には止め処なく涙がつたう。
だが、その表情は悲しみというよりむしろ怒りに近かった。
ラムは面堂さんたちを押しのけ、父親の元へ飛んだ。
「父ちゃん、うち、やっぱり行かないっちゃ!ここに残る!」
父親に向かって大声で言い放つ。
両の目でキッと相手を見据え、口を真一文字に結んで。
「うちはダーリンと一緒にいるっちゃ!星へは帰らないっちゃ!」
きっぱりと言い放つ娘に、父親は何も言い返さずにいる。

ラムの言葉にどよめきが起きた。
「星に帰るーーーっ?!」
「本当ですか、ラムさん!?」
「何で急に帰るなんてー?」
何がどうしたというのか。
事情が分からない私たちはラムに聞こうとした。
でも私たちの声はラムの耳には届いていないようだった。
私たちはラムと父親の様子をじっと窺う。
「ラム…仕方のないことやと何べんも説明したやないか。
ワシかてお前の好きにさせてやりたい。そやけど、ワシらには何ともできんのや。
今回のことは、銀河系星間会議で決定したこと。従わんと…」
「うちには関係ないっちゃ!」
「そやけど、ワシらが地球から手ェ引かんかったら、奴らはオニ星も、そして地球にもちょっかい出すやろう。
そうなったら、ムコ殿かて…」
「ダーリンはうちが守るっちゃ!うちはダーリンの側にいるっちゃ!」
必死に訴えるラム。
「ラム、いい加減にせんかっ!!」
始めは優しくなだめていた父親が、ラムを一喝した。
「聞き分けのないこと言うな!」
父親の物凄い形相に、ラムも次の言葉が出ない。
「だって…だって、うち…」
また涙が溢れ出した。

「あ、あたるっ!」
誰かの声がしてみんなが振り向くと、あたる君が下駄箱から出てくるところだった。
ゆっくりと進んで、私たちより離れて後方で立ち止まった。
「あたるーっ!」
メガネ君があたる君の方に向かって走り出した。
あたる君の前に立つと、彼の胸倉を引っ掴んで怒鳴りつけた。
「お前、知っていたんだな?!だから今朝から態度がおかしかったんだ!
何故言わなかった、えぇ?!」
あたる君は何も言わずにメガネ君にされるがままで。
「ダーーリーンっ!」
ラムが飛んできて2人の間に割って入った。
「ダーリン、ダーリン、ダーリン、ダーリン…っっ」
ラムが何度もあたる君に声をかけるが、彼は押し黙ったまま。
「うち、嫌だっちゃ!ダーリンと一緒がいいっちゃ!
ダーリンは、ダーリンはうちがいなくても平気だっちゃ?!
うちがいなくなってもいいっちゃ?!」
ラムの目にはあたる君しか映っていない。
メガネ君は呆然と2人の様子を見ている。私たちも。
ラムはあたる君の胸倉を引っ掴んで懸命に訴える。
しばらくしてやっと、あたる君が口を開いた。
「ラム。」
ラムも、私たちも、次の彼の言葉を待った。
「仕方のないことじゃないか。星間戦争なんて俺はゴメンだし。
お前だって自分の星が戦争になったら…」
「仕方なくなんかないっちゃ!」
あたる君の言葉を途中で切って、またラムが叫ぶ。
「うちがダーリンを守るから、だから大丈夫だっちゃ!」
「だからお前の星だって危ないって…」
「オニ星の戦力をなめるなっちゃ!あんな奴ら、返り討ちにしてやるっちゃ!」
あたる君の言葉を遮り、否定しつづけるラム。
あたる君は困ったような表情をして、言葉を探している。
いつの間にか私たちの後ろに来ていたラムの父親が、
「ムコ殿…」
と、小さくあたる君に呼びかけた。
あたる君が顔を上げる。
そして父親と目を合わせる。
それからまた視線をラムに戻すと、彼は意を決したように両手をラムの肩に置いて、それから    、 

ラムの身体を自分から引き離した。

「…いい加減、気づけよな。」
さっきまでと違う低い声のトーンに、ラムの勢いが止まる。
「…ダー…リン?」
「うっとおしいんだよ、実際。何を勘違いしたんだか、勝手にダーリンダーリンって…。
俺はお前と付き合う気なんかなかったんだ!なのにお前が押しかけてきて。」
「ダーリン、何言ってるっちゃ!」
あたる君の言葉にラムが怒った。
「うちらは夫婦だっちゃ!口ではそんなこと言ったって、ダーリンは絶対うちのこと愛してくれてるっちゃ!」
「俺がいつお前を愛してると言った?!
この際はっきり言ってやる、俺はしのぶがいいんだよ!」
あたる君は大勢の中から私を見つけると、がばっと抱きついてきた。
「しのぶ〜愛してるよ〜〜。」
私の肩に顔を埋めて猫なで声で言う。
ラムは怒りのあまり、体のそこかしこから電気が放電し、恐ろしい形相で私とあたる君を睨みつけた。
「ダーリン、しのぶから離れるっちゃ!」
ラムが怒鳴る。
あたる君は私の肩に顔を埋めたまま、動こうとしない。
「ダーリン!こんなときに、どういうつもりだっちゃ!」
「どーもこーもないわいっ!さっさと行っちまえっ!」
顔は上げずに言い返すあたる君。
「ダーリン…どうして…ダーリン…」
ラムの顔から怒りの色が消えうせ、また涙が頬を伝う。
「ダーリン、ダーリン、ダーリン…」
ラムが呼び続ける。
あたる君は答えない。
「うち…、うちはでもダーリンが好きだっちゃ!ダーリンが誰のこと好きでも構わないから、だから…」
涙が止まらない。
「ダーリン、うち、ダーリンといたい…ここにいたいっちゃ…」
ラムの体がふらりと横に大きく揺れた。
両膝が力なく折れ、地面に膝まづく。
「ダーリン、うちの方…見て…ダーリン、ダーリン…うちを見て、ねぇ…
うちのこと、好きじゃなくてもいいからぁ…」
ラムが懇願する。
こんなラムの姿を見るのは初めてだった。
「ダーリン、お願いだから…何か言って…ダーリン、ダーリン、ダーリ…ン…」
わなわなと震える両手で、ぐいっと涙をぬぐう。
「うち、何でもするから、浮気しても怒らないようにするから…宿題全部見せてあげる…
お弁当も全部あげる…べたべたしないから…何でも言うこと聞くから…」
瞳はもう真っ赤に染まっている。
「電撃使わないようにするから…わがまま言わないから…ダーリンのために何でもするから…」
あたる君は何も言わない。
微動だにしない。
「ダーリン、ねぇ…ダーリン…」
ラムを取り囲んでいる生徒達はどうしたらいいのか分からなかった。
慰めようもなかった。
いつもならあたる君を責め、叱り飛ばしたであろうメガネ君や面堂さんたちも、言葉なく立ち尽くしている。
輪の外からラムの父親が割り入って来て、
「ラム…もうええやろ。」
ラムの肩をポンと優しくたたいた。
「いや…」
ラムは真っ赤な目を見開いてあたる君の背中を見つめる。
「いやだっちゃ…こんなのいや…いや…ダーリンと、うちはダーリンといる…」
父親がラムの体を太い腕で掴んでゆっくり立たせた。
「や…やだ…ダーリン…ダーリン…」
うわ言のように呟く。
次の瞬間。

「いやあぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!!!」

ラムが絶叫した。

狂ったように「ダーリン」「ダーリン」と叫び続け、声がかすれていく。
あたる君に飛びつこうとするのを力ずくで引き止め、父親がラムを抱えて宇宙船に乗り込もうとすと、
ラムは父親の顔をひっかき、両足をばたつかせてガンガン蹴った。
押さえつける太い腕に鋭い牙でかぶりついた。
涙はいつまでも止まることなく流れ続け、ラムの顔は涙でぐしゃぐしゃになった。
それでも、あたる君は顔を上げようとしなかった。






虎じまの巨大な船体が大空の彼方に溶け込んだ頃、ようやく誰かが声を出した。
「ラムちゃん、行っちゃった…。」
その言葉に我に返った面堂さんたちが、一気にあたる君を責め始めた。
「諸星ーーーーーっ、貴様どういうことだ!何故ラムさんを止めなかった!」
「いつまでそうしているつもりだ!いい加減にしのぶから離れんかい!」
「行って来い、今すぐラムさんを連れ戻しに行って来い!!」
私はたまらなくなって、叫んだ。
「あなたたち、やめなさいよ!」

だって、あたる君の肩が小さく震えているのが、私には分かっていたから    



(続く)


えと、続きもんです。多分、3、4話で終わると思います。
タイトルをずっと考えてたんだけど、思いつかないのでこのまま…(>_<)

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